ジョン・ノイマン

ジョン・ノイマン(1903年〜1957年)
【アメリカの数学者】

ノイマンは高等数学の領域で多くの業績をあげていますが、特に「ゲームの理論」という新しい数学は、一般(いっぱん)社会にも当てはめることができるものとして、大きな注目を集めました。
第二次世界大戦中から高速度計算機の開発にたずさわり、ノイマンが提案したプログラム記憶(きおく)方式は、今日まで電子計算機の基本原理となりました。
そして計算の種類を変えられる計算速度の速い計算機を発明しました。
| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

豊田佐吉

豊田佐吉(とよださきち)(1867年〜1930年)
【発明家】

豊田佐吉は、慶応(けいおう)3年(1867)遠江(とうとみ)国(現在の静岡県)に生まれました。彼が18歳のとき、専売特許条例が公布されました。以前から国家のことを思い国家につくそうと考えていた彼は、この話を聞き「発明を生涯(しょうがい)の仕事としよう」と決心し、織機等の改良に取り組み始めました。明治23年、東京上野で開催された第3回内国勧業(かんぎょう)博覧会に出展された機械のほとんどが外国製であったのをみて、ますます国産機械の研究開発への意欲を高めたのです。彼は当時広く使われていたバッタン織機の生産性と製品の品質の大幅(おおはば)な向上を計った木製人力織機を完成し、最初の特許権を得ました(特許第1195号、明治24年)。明治27年には、取扱いが簡単で能率のよい糸繰返機(かせくりき)を発明し、その商業的成功を背景に、彼は動力で織る織機の開発を進め、2年後、木製動力織機を完成し、翌年、特許権を得ました。我が国初の動力で織る機械の誕生でした。その後も織機に関する開発を続け、明治36年に緯糸(よこいと)を自動的に補充(ほじゅう)する画期的な自動杼換装置を完成しました。これが自動織機の最初の発明でした。その後も、自動織機の改良を続け、彼が得た特許権は84件、実用新案権は35件にも達しました。明治45年藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を、昭和2年には勲三等瑞宝章(くんさんとうずいほうしょう)を受けました。昭和5年(1930)没。
| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

御木本幸吉

御木本幸吉(みきもとこうきち)(1858年〜1954年)
【ミキモト創業者】

御木本幸吉は、安政5年(1858)志摩(しま)国(現在の三重県)に生まれました。進取の気象に満ちた彼は、一業を立てたいと志(こころざ)し明治11年に上京しました。この時、横浜で真珠(しんじゅ)の売買を見学したことが、彼と真珠とのかかわりの最初でした。彼は、真珠貝を採るため、明治21年に英虞湾(あごわん)でその養殖(ようしょく)を始め、明治23年には上野で開催(かいさい)された第3回内国勧業(かんぎょう)博覧会に真珠、アコヤ貝、真珠入り物品等を出展しました。彼はこのころ、真珠そのものの養殖をしたいと考えており、この博覧会において、出展物の審査官(しんさかん)であった箕作佳吉東京帝国大学教授から真珠は人工養殖できるかもしれないと言われたことが、彼のその後の進路を決定的なものとしました。同年、彼は真珠養殖の研究に取り掛(か)かり、4年間の研究の末、明治26年、養殖したアコヤ貝の穀の内面にコブのような半円形の養殖真珠を造り出すことに成功し、最初の特許権を得ました(特許第2670号、明治29年)。この半円形養殖真珠は、通常いわれている真珠とやや趣(おもむ)きが異なるものの、装身装飾(そうしんそうしょく)の具として世の中に広く受け入れられました。その後も彼は、円形真珠を人工養殖で造るための研究を続け、明治41年に真珠素質被着(ひちゃく)法の特許権を得ました。この発明をきっかけとして日本の真珠養殖業は飛躍(ひやく)をとげ、一つの産業として成長したのです。このほかにも彼は、真珠稚貝(しんじゅちがい)の養殖に関する発明等によって多数の特許権を取得し、昭和29年勲一等瑞宝章(くんいっとうずいほうしょう)を受けました。昭和29年(1954)没。
| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする